下谷弁財天社 ニッチでコアな昔話

相模川水系中津川中流部の愛甲郡愛川町中津下谷地区、中津6248あたり (北緯35度30分59.89秒 東経139度19分39.30秒) にその社はポツンと存在しているのをご存じの方はそう多くはないと思う。

中津川が流れる堤防際に繰り返しとはなるが、ポツンと鎮座する社に興味が沸いたので、今回は、この社についてポストしてみたい。

風光明媚とは言えないまでも都心からのアクセスも容易で、近年では、キャンプスポットとして人気のあるこの中津川水系なのだが、歴史的な相模の史跡も点在している。

中津川左岸下谷地区の堤防 下流に見えるのは八菅橋

下谷弁財天社もこの一つではあるが、キャンパーやアユ釣り師が多い中で見落とされがちかと思われる。 ボクも何故にこんなところに江ノ島弁財天が?と、長年思ってはいたものの、特に気には留めていなかったのだ。

ところが、ふとしたきっかけでこの小さな祠にも昔話があることを知りご紹介してみようと考えた次第である。

おカネ婆と弁財天

昔話といっても、そうは古くはない大正時代のお話となるようだ。

大正時代の話。上熊坂の漁の好きな源爺がその日も鮎釣りに行った。
ところが、大水の後で釣果はさっぱりであり、一服つけていると、水の中に丸い異様なものが見えた。
探ると、それは二〇cmほどの丸さで、蛇がとぐろを巻いた石の像だった。

持ち帰ってはみたが、気丈な妻のおキン婆も、さすがに蛇は苦手だった。
それで隣の観音講の先達をしていたおカネ婆に見せると、そりゃ弁天さんだ、譲ってほしいという。
それで蛇の像はおカネ婆の床の間に祀られることになったが、その霊験はあらたかであったそうな。

その後、おカネ婆は下谷の孫のもとに移り、弁天様は下谷に寄付された。
大水に苦しむ下谷の人たちはよろこんで、かつて切れて修繕された土手に弁天様の祠が造られた。
やはり霊験はあらたかで、寄付金が集まりすぎて人形一座を呼んだり、田名の奇麗どころを呼んだりもしたそうな。

それから半世紀、弁天様のご神体は、とある事情でまた中津川に帰されてしまい、今は祠だけが無残にある。
川も汚れ移動され、祠付近も宅地になるという。

相模の昔話
中津川と善明川(用水路)に挟まれるように集落際にひっそりとたたずむ社

お話を結ぶ、「とある事情で川に御神体は返された」とか、宅地事情で祠も移設され祀られているところなど気にはなるのだが、ご興味のある方は一度訪れてみてはいかがだろうか。